この投稿は「自作キーボード Advent Calendar 2018」の25日目の記事です。
昨日の記事はないんさんの「ジェネレーティブデザインでキーボードを作る」でした。
今年の自作キーボードAdvent Calendarは3つもあるので、ここまでで72個もの記事があります。キーキャップ、アルチザン、キースイッチ、ファーム、基板、3D関係、Bluetooth、果ては文化論的視点などなどおよそ考えられる全てのジャンルについての有意義な記事が並びました。
対して、これはわずかの技術的要素も持たない、全く役に立たないであろう、単なるクリスマスの読み物です。
子供の頃は聖歌隊にいたから、この時期は暗くなるまで毎日練習だった。
「声をちゃんと出さないと神様に届かないわよ。お腹から出して!」
休憩なしに練習を続けてぼくらの歌がおざなりになってくると、元からおっかない先生はさらにおっかない顔つきになって発破をかけたものだ。ぼくらは弛んだ緊張を再びピンと張りなおし、餌を待つ燕の子供のように口をめいっぱい開いて女子に負けないソプラノボイスで寒さを吹っ飛ばすのだった。
クリスマスは特別な季節だけれど、それは恋人との素敵な一夜を期待するものではないし、ましてやパーティーの口実のためにあるものじゃない。クリスマスは、神の子としてこの世に遣わされたイエスの誕生を祝うもの。小さい頃、学校の牧師にそう聞かされていたからなのだろう、別にキリスト教信者なわけではなく、実家は仏壇があるものの信仰心が強いとはいえない一般的な日本の家庭に育ったのだけれど、いまでもクリスマスに大騒ぎするというのは何か違う気がする。
ともあれ今日は25日だ。
子供たちはサンタさんへの手紙に託した願いを聞き届けてもらって無事にお目当てのおもちゃを手中に収め、目をキラキラさせながら包装紙を破く(いた)ことだろう。大きなお友達は、つまり自キ界のお友達はどうだろうか。この世には、大きくなってサンタを信じなくなると自動的にサンタのリストから外れる、というすごい仕組みがあるので、おそらくこれを読んでいるほとんどのお友達の元にプレゼントは来ないはずだ。幸運にも手元に見慣れぬ包装があるのだとしたら、それはパートナーや家族や友人たちからの施しであって、そこには様々な打算が含まれる無限の可能性に思いを巡らせながら手を付けなればならない。
包み紙の中身がキーボード関連のものだった場合は、包みにMassDropと書かれてはいないか、あるいは発送伝票に中国語がないかもう一度確認してほしい。もしあれば、それは忘れた頃にやってきた自発注のものであってプレゼントなんかじゃない。今日という日に喜ぶのは悲しすぎる。
もし、本当に誰かから送られたプレゼントがSignature PlasticsやGMKのキーキャップだったら、あるいはSilent NightにひっかけたZilentスイッチだったりしたら、あなたは本当に幸せな人だ。送り主にも同じように相手の本当に欲しがっているものを送ってあげなければならない。ただしだ。間違ってもキーボードキットなどを相手も欲しがるなどと思ってはいけない。ごく一般的な人は、パソコンさえ持たない人が増えているこの時代にわざわざ外付けのキーボードを1万円以上もかけて作るなどという酔狂な趣味は持っていないのだから。
クリスマスプレゼントはともかく、12月はボーナスが出て財布のひもが緩む季節だから、自分へのご褒美として前々から狙っていたキットやキーキャップを買った人も少なくないだろう。その目的を問われれば、多くの人が口にするのが、エンドゲームというやつだ。
このアドベントカレンダーの案内も、
「皆さん、EndGameしていますか?」
という一文から始まっている。この界隈に生息する者の目指すべきはどうやらそのエンドゲームというものらしい。
そもそもエンドゲームとはなにを指すのだろうか。辞書的には“勝負の大詰め”を意味するものだが、こうしたコンテクストで近年使われるエンドゲームとは、“最終形態”や“本命”に近い。
たとえば、テイラー・スウィフトはエド・シーランとフューチャーをフィーチャーした(ってややこしいな)そのものズバリ『End Game』という曲で、あなたのエンドゲームになりたい!と歌っている。
つまり、エンドゲームとは、自身にとってこれ以上のものはない究極の存在を意味する。キーボード界でのエンドゲームとは、かなり良いとかそんななまっちょろいレベルではなく、もはや他のキーボードに手を出す必要などないという、一生の伴侶を意味するものなのである。
海外のコミュニティを眺めていると、ようやくエンドゲームに辿り着いたから、これでキーボードへの出費はもうおしまいだとか、いままでに買い集めたものを処分(売却)するといった話を見かける。そこから透けて見えてくるのは、金食い虫であるカスタムキーボードのホビーから脱したいという思いだ。
この沼は単価がそれほど高くないと言われる。たしかにカメラのレンズ沼に比べればそうかもしれない。キットをいくら買ったところで、国内のものは1万から2万。海外のアルミケースの高級キットでようやく5万、6万といったところ。1本10万超が珍しくないレンズの世界よりは全然軽いもんである(キーボード沼に加えてレンズ沼にもはまってる石油王も中にはいるが)。
とはいえ、単価がそれほどでもないというのがかえってよろしくないのも事実で、次々にキースイッチを買い求め、とめどなく出てくるキーキャップのGBに参加し、はんだごてやらはんだ吸い取り器やらテスターやらと細々とした道具を買いそろえ、これはリニア用、これはタクタイル用などと謎のオイルに手を伸ばし、数百ドルクラスのアルミ筐体のケースが当たり前になって、果てはビンテージだなどと言い出す頃には、間違いなく数十万円を費やしていることだろう。
そこに向かわせる動機がエンドゲームである限り、エンドゲームを手に入れればこの出費は止まることになる。反対にいえば、エンドゲームが手に入らない限り、この出費は永遠に続いていく。
ぼくはエンドゲームが怖い。
しかしそれは、湯水のごとく垂れ流し状態にある出費の元凶だからではなく、むしろそれをストップさせるエンドゲームに達することが怖いのだ。
だって、ひとたびエンドゲームを見つけてしまったら、
「おめでとうございます! もうここで得るべきものも学ぶものもなにもありません。ご卒業です」
と体良く退場を迫られることになるではないか。
日々、各所からもたらされる刺激的な進捗も、せっかく知り合った界隈の人々とのつながりも、何もかもから切り離されてしまうのだ。ミートアップに行っても、
「キミはエンドゲームがあるからほかの人のなんて見る必要ないでしょ? 持って来るキーボードもどうせいつものエンドゲームなんだこら、もう来る必要はなし!」
ってことになってしまう。
目的をそこに置く限り、エンドゲームはゲームエンドを意味する。
だから、この聖なる日にぼくは神に祈る。
どうかエンドゲームを与えないでくださいって。
こんなに楽しい遊びを終わらせないでって。
ところで今日は25日だ。
というわけでAttack25をぜひ!
2日限定でちょっぴり遅めのクリスマスキャンペーンします。
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※ないしょの話:ここ数日のZinc販売数は0~2個/日程度です
(この記事はZincを使って書きました)